あー blog

説明するような内容が皆無

20240201219:33

最近よく高校時代のことを思い出す。

私にとってはたがだか20数年の人生の中でも一番辛かった時代だ。

原因はよく分からなかったが心が釘で刺されたような痛みが常にあって頭がおかしくなりそうだった。実際におかしくなりかけていたし、精神は悲鳴を上げているのもわかっていた。でもどうしたらいいのか全然分からなかった。解決方法も見当たらなかった。

でも映像を見ている時は救われていると感じることができた。

天国の日々」のモリコーネの音楽を聴いているとなぜか当時のことが頭をよぎる。

一番辛かったのにかけがいのない思い出なのはなんでなんだろう。

大学をもう少しで卒業するが、この後の人生どうなるのか全く分からない。本当に考えていた道が大学卒業で終わっている。そこからは道らしい道なんてなくてだたっ広い地面が広がっている。今が幸福だとするなら、人は幸せになった後どうしたらいいのだろう。自分にとっての楽園がもう少しで終わっていくのを感じる。一瞬の光だったのかもしれない。私はそれを一生抱えて生きていくのかもしれない。日芸を楽しんだ人の一種の苦しみとして。この1年は苦しいものになるような気がする。今までの怠惰を抱えて。

でも今までの日々を振り返り続けるわけにもいかない。これから私は何を見つけて、何を作って、どんな人達と過ごすんだろう。本当は高校の時に死んでいた同然の心を救ってもらったからには映像に少しでも恩返ししていくのが私の仕事なんだと思う。

12歳の頃から漠然と映像に関わるのが私の役割だと思って生きてきた。でもカメラも手にしたことない私がなんでそんなことを10年も飽きずに考えていられたのか、よく分からない。どうして今も好きでい続けられるのか不思議だ。それしか拠り所がなかったといったらそこまでだが、心を揺さぶれる経験は映像以外でしたことがない。そしてこれからも生きていくためには映像を好きでい続けるしかないのだ。ひとつ決まっていることがあるとするならそれしかないだろう。でも映画学科に入ってからも私はカメラを持って作品を作ったことが1度しかない。アニメーションを作って卒業したからだ。正直映像を作ろうとカメラを持った時に、底知れぬ違和感が私に取り憑いて今でもあまり撮影が好きではない。正直、「どうして?」と思った。こんなに好きなのにどうして実写を作れなかったんだろう。ずっと悔しさと悲しさを覚えながら、でも絵を描くのはとても好きで(絵に感動したことは一度もない)、線を引くのが楽しくて気がついたらアニメが完成していた。もちろんアニメに感動したことはある。素晴らしいと感じたことなんていくらでもある。でも実写ほどの衝撃はなかった。

人生はままならいないなと思った。こんな仕打ちをしなくてもいいじゃないかと思った。ある意味アニメーションは好きにならざるを得なかったのだ。

でもまだうまく受け入れられない気持ちが沢山ある。でもこれからは受け入れて、反発できる余地があるならして、自分という人間と上手く付き合っていかなきゃいけない。上手く付き合えた時にしか選択はできない。これからもずっと戦っていくんだろうなと思う。そのうちかけがいのない人とも出会えるんだろうか。30歳の自分は何を考えてるんだろうか。こっからの1年1年は濃いものになる。私もあなたも変わっていく。

きっと。

 

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