あー blog

説明するような内容が皆無

友達関係をもっともっともっと

いつからこんなに人間不信になったのだろうか?

生まれつきこんなに人を疑うような人間だったのだろうか?

私が苦手とすることはたくさんあるけど、その中でも特に友人関係が下手くそだ。

人と話すのはわりかし好きな方なのに親しくなればなるほど、心が離れていってしまう

どんどん会話がつまらなくなってしまう。

どうしても、直すことができない癖。飽き性???

 

でも今の友達はとても優しい人たち。私のような人間を決してバカにしない人たち

それでも私はこわいと感じる。人に踏み込むのになれてなくて、ビクビクしてる。

こわいこわいこわい

こうして何人もの友達と疎遠になったんだろう?楽しい思い出だけ残して、もう私には関係のない人たち。幸せになって、どこかで元気にやっていて欲しいと思う。

けれどもう関わりたくないと思ってしまう。

その一瞬が楽しくてたまらなかったから、そのままにしておきたいと思う。

誰かと一瞬だけでも同じ空気を吸えた時が嬉しい。そう感じるのに私は自分から相手を遠ざけて、それで友達が少ないなんていっているからもうどうしようもない。

今回の友達は諦めたくないと頭で強く思ったけど、心がダメっていっていて私はどうしたらいいんだろうか?

いつまでも映画や本や音楽だけと仲良くやっていればそれでもいいような気もしていた

でも今はそうは思いたくない。映像を作っていく時に人とのつながりは大切だから。

初めて、つながりの必要性を感じた。今まではどうでもいいと思っていた。

本当にいろいろと蔑ろにしてきた。芸術しか私を慰めてくれないと思っていた。

その気持ちは今でも変わらないけど、せめて人らしくありたいと、くだらない話にいつまでも耳を傾けられる人でありたいと今では思っている。

 

みんなが当たり前のように知っていることを私は知らないんじゃないか?

みんなが感じていることを感じずに生きてきてしまったんじゃないのか?

 

もう高校の時みたいに、自分に苦しむことは格段に減ったけど、もうあとは緩やかで穏やかな日常を送りたい。そんなことは叶わない。私の心がまだ許していないのだ。

いつかそんな日がきたら、私は心の底から深呼吸する。

大きな口をあけてなんの躊躇いもなく周りの空気をたくさん吸う。

そしてそこが私の最後の到達点。

でもきっとそこまで行けないような気がする。

 

月に手をのばしてるみたいに

目には見えているのにびっくりするほど距離があって結局届かない。

月は煎餅の味がするような気がする。口にいれたら簡単に割れてしまいそう。

でも実際に月についたら、食べられるのは私の方だ。

月が大きい口で私を食べる、私はそれを受け入れる。

月もさみしかったんだと思う。

地球を見渡すばかりで何一つ触れられなかった辛さを理解する

月も病院の窓から球場をみるような私の人生を理解する

きっと1秒もかからない

 

体が宙にうかぶと

黄色の空には飛行船

見下ろせば工場の暖かい煙が

星は私たちのまわりに

乾いた大地 遠くにはふやけた森がみえる

さかさまの傘のなかには沢山の思い出に埃がかぶっている

ひとつもきちんと思い出せずに

全体だけぼやけて、でもそれで満足

誰かが愛してくれるならもう誰の評価もいらない

本当の幸せがわかったら今までの嘘が見えてくる

 

 

そうこうしている間に月と私の距離はなくなって

それから、月のさみしさを思うと私はいたたまれなくなって

自分から月に食べられにいく

月の嬉しそうな顔!

 

 

 

 

旅の重さ(1972)

21:30-24:00

昨日友達と飲んでとても楽しかったけど、

別れた後電車のなかでものすごく寂しくなった。

ほんの少し体にアルコールが入っていて、頭の中を二匹の魚が泳いでいるような感覚で家に帰った。家に帰る頃には魚も消えていて、悲しい夢を見たような気分だった。

ただひたすらに寂しくてどうしていいのかわからなかった。

もっとみんなと一緒にいたいのに、そう思っているのは私だけだったらどうしようという気持ちが先に走って踏み込むことができないもどかしい会話。

店の串焼きの値段を2で割ってみたり3で割ってみたりして、割り切れるころには友達の話は先に流れて、私はなんとなく頷きながら計算していた自分を恨めしいと思う。

それなのに1人になるのは嫌で嫌で、誰かに抱かれて寝たいしでもどうしようもなくて辛い。頭は疲れ切っているのにそれ以上に心は締めつけられて、痛くてたまらない。そんな時に慰めてくれる人間がいない。

 

好きだよっていって朝まで隣で寝かせてくれる人がいれば、

もう私の人生の悩み事なんてすべて溶けて窓から逃げていくのに。

私は人生は自然と似ていて、人間の力でどうにかなるようで、実はどうにもできないんじゃないかという不安と常に戦っているような気がしている。

足元だけ見ながら帰っているとこれが映画のワンシーンのように終わりがあればいいのにと思うのだけどカットの声も聞こえてこないので、また明日歩く羽目になるんだ。

私の監督は何をしているんだろう、ロングを撮りたいからって19年もカメラを回しっぱなしじゃ、どこの映画館も上映してくれないよ。

 

8:00

そんな日の朝に私は山田勇男監督の『水晶』という16mmの映像作品(トレーラー)をみる。音楽も素晴らしい役割を果たしていたけど、映像と掛け合わさることで奇跡が起きているような作品だった。この映像のおかげでようやく昨夜の涙を流すことができた。まったく昨日のこととは接点のない映像なのに、どうしてこうも感情を揺さぶってくるんだろう。でも昨日の自分を慰めてくれた、本当にありがとう。もっとこのような作品に出会いたいと心から思う。私の夢の足跡を一緒に歩いてくれる。怖くないぞと言ってくれているみたいで嬉しい。映像は魔法だということをこの作品からは感じる。短編映画をフィルムで撮って見たいなぁ。フィルムいいなぁ、、。

短片/山田勇男】水晶リハーサ(1988)_哔哩哔哩(゜-゜)つロ干杯~-bilibili 『水晶』(1988)

4分もないトレーラーを何度も何度も繰り返して見た。買うと3500円で短編作品集にしては微妙に高くて(まぁ実験映画って買うと高いの多いけど)二の足を踏んでいる。

 

22:00-24:30

さて、昨夜から24時間のうちに私の心の痛みはだいぶ引いていた。良作と巡り逢うにはそれなりの辛さが必要なのかもしれないと変な因果を付けたくなるほど私の人生における傑作は嫌な出来事の最中に出会うことが多い。

タイトルの『旅の重さ』だが家を飛び出した少女が行くあてもなく旅をする話である。まっすぐに心に響いてくるような映画だった。ATG映画、最近見てなかったけどやっぱり面白いもの多いなぁ。同監督の『津軽じょんがら節』は昔DVDを一気に借りすぎて見ないで返してしまった一本として覚えているのでいまさらながら後悔した。

というのが今日の私である。

おやすみ

映画「旅の重さ」(1972)の魅力① - 尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

p.s. アンモナイトのささやきを聞いた がみたくてたまらないですDVD化切望

 

 

Heart Land

アーティストになろうとか、自分主体の作品を作って生活しようと思うことは今まで極力避けてきたけど、それが自分を救う方法なのかもしれないということは薄々自覚してきている。

2年後の卒業制作のことを思えば一時的なものかもしれないし、将来なにかあるのかもしれないが怖いような不思議な気持ち。

話が前後するが、なにかを創作して生活するというビジョンを持つことを今まで極力さけてきたので自分のアイデアに自信がなかったが、今日はじめて教授に企画書を面白いねと言われて嬉しかった。うれしい気持ちや創作することの楽しさに蓋するのを大人になる第一歩だと思い込んでいる自分が恥ずかしい。自分の支離滅裂な考えを否定してなんとか理論で説明できるような言葉に変換してしまうのも嫌だ。

もっと自分の混沌を受け入れたい。恥ずかしいところにもっと寛容で先進的でありたいと思う。

自分が自分でダメだと思い込んでいること、美醜の醜に当たるところを否定せずにそうだよねとまずはその気持ちを受け入れてあげたい。

自分に虐められている部分的な自分をもっと受け入れ、傷を癒してあげたいと心から思う。

それに痛み止めを塗るのが創作物に触れることで、傷の根本を小さくするのが自分で創作することなのだと今は感じている。

...こういう文章を書けるようになったことも、成長としますかー、

わたしの言語

趣味が同じだったり、好きな対象が似ていたりするとまるで同じ「言語」を喋っているような気分になることがある。外国に行ったことがある人ならわかるかもしれないけど、違う言語を喋っているというのはそれだけでかなりストレスになったりする。

私にとってはそのような壁を感じやすくて、だから日常生活のなかで同じ日本語であれ常に違う言語を喋る人を相手にしていると言う感じだ。

すごく疲れるし、意思疎通は最低限しか取ることが出来ないし、結局本当にいいたいことは伝わらない。これは思ってるよりキツい。

(日本語と英語のような感じといったらいいのかな)

ただ大学に行くと、関西弁と標準語のような、とりあえずキチンと自分の意思や思ってることや本当に伝えたいことは理解されて、たまにニュアンスが違うかなと言うくらいだ。これはかなり楽だろう。イギリスと大阪、どっちが親近感感じますか?と問われているようなものだ。

まだバイト先はたまに私の言語で話してくれるので緊張がほぐれるし、普段は喋らないけど喋ることができると言うのは心の安寧につながる。

これだけで十分有り難い。

まぁ自分から相手の言語で喋るように努めるというのも解決策の一つではあるだろうけど。

 

でもそう思うようになってから気が楽になった。

今日は違う言語を沢山話さなくてはいけないから憂鬱だ。ちゃんと理解してくれるだろうか理解できるだろうか。じぶんの言葉を持ってしまうとこう言うデメリットもあるんだなぁ。

私は異国の人が過半数の国でよく頑張ってると思う。毎日話してるにも関わらず相変わらず慣れない言語を使って必死に生きていると思う。

 

自分の言語を持ってしまった皆さん今日もがんばっていますね。それは凄いことなのですよ!

 

 

 

ただ楽しみたいだけ

映画および芸術一般について思っていること。

まずは楽しいとか気持ちいい(性的な意味でもアリ)とかハイになれるとかそういう生理的欲求が芸術で満たされるという経験をすると本当に離れられなくなるというか。

よく、難しい作品ってあるけど、ああいうのから入ると確かに好きではなくなるんだろうなという感じはするよね。いいんだよこの俳優の顔を見るとめっちゃリビドーを刺激されます、とかが入り口になって。というかそれが普通なのかも。

そっから掘っていくと見つかる作品があって、まずは数を見ないとなんともいえないというか。私はオタクまではいってないけど何かのオタクの人って本当に半端ない数を見ていて尊敬する。

また人間はよく深い生き物なので、一つの刺激になれるとさらに強い刺激を求める。逆にもっと強い刺激が欲しいとかもっと気持ち良くなりたいとかを思わないと深まっていかない趣味なのかもしれない。私は勉強も運動もそこまで興味が湧かなくて、学校も部活も楽しいと思ったことなぞほとんどないけど、人一倍欲が深かったのかなと思う。

そこに救われたんだと、今となってはいえる。もしかしたらその欲が他のところで満たされていたら、今はまた違った人生になっているのかもしれないなと思う。

ちなみに、ブログも好きだ。どちらかというと書くよりも読むことの方が好きだけれど。人に見られるはずないと思って書いている文章ほど面白い物はない笑

覗き魔的な魅力があって、はまっていたんだとおもう。ヤなやつ〜〜〜〜

こっから10年同じことをやり続けることが出来たらどんなふうになるんだろう(なってしまうんだろう)とちょっと怖い。そういう大人を大学で嫌という程みたから。

今はmubiでパゾリー二の最期を描いた映画とアンダーグラウンドとユメノ銀河と夏目友人帳(5期)を並行で見ている+教習所+撮影+バイト(数は減らしているが)というメニューで動いているんだけど、大変です涙。いや幸せというべきか笑

高校のときの自分と比べても少しだけ遠いところに来たのかなという感覚。もうこんなところまで!!っていう感じではまだ、ないけど。いつかそう思える日まで。

名前でよびたい

小学校を卒業するまで、ほとんどの担任からも友達からも下の名前でしか呼ばれてこなかったから、中学に入って友達からも急に苗字で呼ばれたときびっくりした。

親しい人から苗字で呼ばれるのはあまり好きじゃない。どこか他人行儀な感じがしてしまって私の手の届く範囲からその人が一歩下がってしまう気がしてもどかしくなるから。

でも中学高校大学と苗字で呼ばれる機会が増えたにも関わらず、いまだに慣れないのは12歳までの経験が自分の当たり前になっているからなんだろうか?

せっかく親しくなれたんだから...と思ってしまう自分は変なのか?

今のところ私を名前で呼んでくれる友達しかいないが、別に友達でも苗字で呼ばれたからってその人が私と距離を置きたいわけじゃないってことを自分に言い聞かせるのが大変だ。あぁ私の全盛期は小学6年生で終わってしまったのだろうか笑

でも、あのときは本当に楽しかった。外の世界を知らない貴重な時間、ずっと続いてくれたらよかったのにな。今になって私が欲しかった満足感は物でも金でもないっていうどこかの歌詞みたいなことを思いながら渋谷で1人ブラブラ買い物するやつになってたよ。なんか違うんだよなーと思いつつ物欲に歩かされてるみたいな笑 うわー書いてて嫌な気分になるわい。

 

私は夏目友人帳の続きをみるので、またね

あと半年 豆雑

ちなみに豆雑とは、私が高校時代に授業中に書いていた日記とも言えない適当な文章のことです。友達がいなすぎると友達に言いたいことを自分に言うことになります、だから、ね?そういう文章です。

 

今年の冬に始めたバイトがあるんだけど、それもあと半年ぐらいでやめようかなと思っている。

結婚式の動画編集のバイトなんだけど、私にはあんまり向いてない(接客業にくらべれば100倍マシなんだけど)なと思って。動画編集自体はノーストレスでとても面白いなとは思うんだけどあまりにも現場のプレッシャーが強すぎるなぁというか。。。ミスできないというよりかは、ミスするという選択肢すらないという感じ。初めての現場だったり、知らない大人たちが沢山いたり、どういう言葉を使っていいのか分からなかったりして。意外と慣れないのでストレスが溜まる一方なのだ。スーツ着ないといけないしね笑 もうなんか社会人なんて一生向かないだろうなという性質なので、卒業後なんてもう。。もう。。。どうなってしまうのか笑

あとさ、バイトを辞める時の感覚がめちゃくちゃ好きなんだよねワタクシ。あれがたまらなくてバイトをしているといっても過言ではない。なにか大きなものから離れる、裏切るような感覚は癖になる。

フラフラすることが性に合ってしまうといういやーな性格なので、ちゃんと生きていくには向いてないんだろうなーと常に思っている。周りにもそんなやつばかりなので類は友を呼ぶんだろうな。毎朝ビシッときまって満員電車に乗れるサラリーマン、本当にすごいと思う。並大抵の努力ではあるまい。でもうちの家は私を除いてそいうタイプの人ばかりだから、なんでこの家系に生まれてしまったんだろうと呪う。

 

あとは一人暮らしを始めたいなということかな。その前までに免許をとって〜眼科にいって〜新しいバイトを探して〜どうにか説得しなくては。まぁ説得できた試しはないので強行突破するしかないけど。