21:30-24:00
昨日友達と飲んでとても楽しかったけど、
別れた後電車のなかでものすごく寂しくなった。
ほんの少し体にアルコールが入っていて、頭の中を二匹の魚が泳いでいるような感覚で家に帰った。家に帰る頃には魚も消えていて、悲しい夢を見たような気分だった。
ただひたすらに寂しくてどうしていいのかわからなかった。
もっとみんなと一緒にいたいのに、そう思っているのは私だけだったらどうしようという気持ちが先に走って踏み込むことができないもどかしい会話。
店の串焼きの値段を2で割ってみたり3で割ってみたりして、割り切れるころには友達の話は先に流れて、私はなんとなく頷きながら計算していた自分を恨めしいと思う。
それなのに1人になるのは嫌で嫌で、誰かに抱かれて寝たいしでもどうしようもなくて辛い。頭は疲れ切っているのにそれ以上に心は締めつけられて、痛くてたまらない。そんな時に慰めてくれる人間がいない。
好きだよっていって朝まで隣で寝かせてくれる人がいれば、
もう私の人生の悩み事なんてすべて溶けて窓から逃げていくのに。
私は人生は自然と似ていて、人間の力でどうにかなるようで、実はどうにもできないんじゃないかという不安と常に戦っているような気がしている。
足元だけ見ながら帰っているとこれが映画のワンシーンのように終わりがあればいいのにと思うのだけどカットの声も聞こえてこないので、また明日歩く羽目になるんだ。
私の監督は何をしているんだろう、ロングを撮りたいからって19年もカメラを回しっぱなしじゃ、どこの映画館も上映してくれないよ。
8:00
そんな日の朝に私は山田勇男監督の『水晶』という16mmの映像作品(トレーラー)をみる。音楽も素晴らしい役割を果たしていたけど、映像と掛け合わさることで奇跡が起きているような作品だった。この映像のおかげでようやく昨夜の涙を流すことができた。まったく昨日のこととは接点のない映像なのに、どうしてこうも感情を揺さぶってくるんだろう。でも昨日の自分を慰めてくれた、本当にありがとう。もっとこのような作品に出会いたいと心から思う。私の夢の足跡を一緒に歩いてくれる。怖くないぞと言ってくれているみたいで嬉しい。映像は魔法だということをこの作品からは感じる。短編映画をフィルムで撮って見たいなぁ。フィルムいいなぁ、、。
『水晶』(1988)
4分もないトレーラーを何度も何度も繰り返して見た。買うと3500円で短編作品集にしては微妙に高くて(まぁ実験映画って買うと高いの多いけど)二の足を踏んでいる。
22:00-24:30
さて、昨夜から24時間のうちに私の心の痛みはだいぶ引いていた。良作と巡り逢うにはそれなりの辛さが必要なのかもしれないと変な因果を付けたくなるほど私の人生における傑作は嫌な出来事の最中に出会うことが多い。
タイトルの『旅の重さ』だが家を飛び出した少女が行くあてもなく旅をする話である。まっすぐに心に響いてくるような映画だった。ATG映画、最近見てなかったけどやっぱり面白いもの多いなぁ。同監督の『津軽じょんがら節』は昔DVDを一気に借りすぎて見ないで返してしまった一本として覚えているのでいまさらながら後悔した。
というのが今日の私である。
おやすみ
p.s. アンモナイトのささやきを聞いた がみたくてたまらないですDVD化切望