アーティストになろうとか、自分主体の作品を作って生活しようと思うことは今まで極力避けてきたけど、それが自分を救う方法なのかもしれないということは薄々自覚してきている。
2年後の卒業制作のことを思えば一時的なものかもしれないし、将来なにかあるのかもしれないが怖いような不思議な気持ち。
話が前後するが、なにかを創作して生活するというビジョンを持つことを今まで極力さけてきたので自分のアイデアに自信がなかったが、今日はじめて教授に企画書を面白いねと言われて嬉しかった。うれしい気持ちや創作することの楽しさに蓋するのを大人になる第一歩だと思い込んでいる自分が恥ずかしい。自分の支離滅裂な考えを否定してなんとか理論で説明できるような言葉に変換してしまうのも嫌だ。
もっと自分の混沌を受け入れたい。恥ずかしいところにもっと寛容で先進的でありたいと思う。
自分が自分でダメだと思い込んでいること、美醜の醜に当たるところを否定せずにそうだよねとまずはその気持ちを受け入れてあげたい。
自分に虐められている部分的な自分をもっと受け入れ、傷を癒してあげたいと心から思う。
それに痛み止めを塗るのが創作物に触れることで、傷の根本を小さくするのが自分で創作することなのだと今は感じている。
...こういう文章を書けるようになったことも、成長としますかー、