あー blog

説明するような内容が皆無

Good Morning Sunshine!

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

田んぼのど真ん中にある高校に通っていた。

外はいつも風が強くて窓がガタガタ震えてる教室で授業を受けていた気がする。その授業中に机の下でずっとスマホをいじっているのが当時の私だ。ちなみに何をみていたのかというと、それは本当にまちまちで、まちまちっていうとそれは何でも読めればよかったってことだと思う。

好きな歌詞の意味を検索してみたり、見たことすらない映画の感想を読んでみたり、それでも授業よりかは有意義だと思っていた時があった。

そんな時沢山のブログを読んだ。寺山修司の『家出のススメ』を読んで家出した人のブログとか、小さい娘が排泄する前に書き殴った絵をアートとして公開してる人のブログとかヒッピーみたいな生活をしている人のブログとか、めちゃくちゃ映画を詳しく解説しているのに、一番読まれている記事がB'zの稲葉浩志と同じ香水をつけていみたというYouTuberみたいな内容だったり、めちゃくちゃだけど人間臭くて文章が上手くてどこの角度から尊敬すればいいのか分からないような人たちだらけだった。私はそれを小さい子が巨人を見上げるように、あるいは小さい洞穴を発見したように覗き込みながら好奇心を片手に見つめていた。

 

日々の虚無感に目を背けたくなったとき、ブログに自然と手が伸びる。虚無感に寄り添える文章って、きっと書き手はそれ以上の虚無感を感じて生きているのだろうと思うと、少し私も顔を前に向けて歩かなくては、あの人たちの文章から滲み出るかすかな現実に対するはげましに笑顔で答えてみたくなったりするのだ。

 

将来の夢も特になかったけど、こういう大人になりたいというのはブログのなかで見つけてきたような気がする。私にとってブログは、インターネットは徹夜した日の朝の光だ。誰からにも評価されることはないのかもしれないけど、私によっては明日1日をどうにか乗り切るためにはなくてはならない存在だった。

せめて1日、あと1日これさえ乗り切れば何か違うものが見えてくるかもしれないと思っていた自分に言って聞かせたい。今私は朝の光の中で生きているみたいなんだっていってあげたい。あなたが夢にも思ってなかったような生活を、誰にも共感されないと思っていたことを普通に言える環境にいる。それがどれだけ素晴らしいことか、

「夢だと思っていたことが現実で、現実だと思っていたことが夢で」

その言葉は昔なにかで読んだことがあるのだけど、私はその言葉で幾分か救われたのだ。あの時は単なる慰めでしかなかったのかもしれないけど。

それにしても、ネットで世界と繋がるとかっていえる人はずいぶん外交的なひとだな。

 

私はネットで自分と繋がっているような気がする。普段の生活ではかき消されてしまう自分の興味を純度の高い状態のまま知ることができるというのは私みたいに普段の生活をしているだけで心が荒れてくる人間にとってはとても素晴らしい薬なのだ。

 

でもあんまり大量に摂取してると頭が痛くなってくるので、おやすみなさい。