あー blog

説明するような内容が皆無

子供の頃の痛み

⚠読んでで楽しい話じゃないです
 あくまで今回の1番の読者は自分なので
 興味があったら覗く程度で










子供の頃、私はよく熱を出した
救急車にも何度も何度も運ばれた
終いには入院することになった。

怖かった。
自分の身に何が起きているかわからない怖さ
3歳、4歳くらいの頃であるがまだよく覚えている
痙攣が止まらなかった
ダルい、気持ち悪い、尋常ではなかった
結局、
その後悪化して手術することになったのだから
あのときの体調の悪さは言い過ぎではなかったのだろうと思うが。


その後、無事退院できたのでご安心を笑


その後も膀胱炎になって、その怖さから
強迫性障害とまでは行かないにしても
長い時間どこかに閉じ込められるような事になると
パニックになった
周りは大袈裟だと、そんな反応をされたのを覚えているが、学校ではよくパニックになっていた
心の中だけだったので周りも気づきにくかったのかもしれない、けれど相当な精神的プレッシャーだったと思う。あのときは虐められてたのもあり自分の体をカッターで切ってみたり、授業後にトイレに駆け込んで
泣いていたり、よく頑張ったなと思う。
その時は8歳、9歳のときだった
その後病状は回復し、
メンタル面においても体調においても12歳の時にほぼ完治したかと思った。


しかし

まさかの13歳の頃にぶり返した。
今度はメンタル面だけで病気にはかかってないが
それはそれでつらかった
精神不安定で授業もろくに受けられなかった
足の爪を地面にこすりつけることで
どうにか和らいだ

けれど擦りすぎてお風呂で自分の爪をみてみると
紫色に変色していた

それならばと耳たぶをこすった
1日で皮が薄くめくれてヒリヒリした

こんな調子で1年が過ぎていった
けれど、この時は先生からの理解もあり
2年生は引き抜きで同じ先生に担任してもらえる事になった

それが功を奏し、中学2.3年で体調は劇的に回復
2年でほとんど治った

大したことないと思う人もいるかもしれないが
もし、これが10年遅くきていれば
私も確実にそう思ってたと思う
これっぽっちってね

けれど、あの時は今のようにずる賢くなかったし笑
要するに手の抜き方を知らなかった
それが色々な症状を加速させた。
今になってそれを経験してきてよかったとは
全く思わない
精神的なダメージはあのときほどではないにしろ
今でもズルズル引きずっているところもあるし
得体の知れない恐怖だって常にある
ここにいる誰かが拳銃を持ってるかもしれない
いつか私は殺されるかもしれない
自分で殺してしまうかもしれない
そんな冷たいこころ
冷静なんて、思ってほしくはない
冷たいだけ

ただ、



1つだけ思ったのは、思えたのは
感じ方がとても敏感になったということかも知れない
嬉しかったとき、もしかしたら人一倍喜べるような
心持ちはできたのかも知れない
それは今では確実に自分の財産になっている



ただ、そんなの本当は持たない方が生きやすいのは
確かなので、、笑
だから、良かったとは思わない、思えない。


何の話だと思ったかもしれないが
私はこの話を人前で完全じゃないにしろ
こうやって書くことができるのに
今日までかかってしまった
けど
18までには終わらせることができたのかな
 
一旦なのかもしれないけど

区切りをつけたかったので笑


これからどんなふうに生きるにしろ
感動することを、何かを感じる心を諦めないで
ずっと持ち続けてほしい

それこそ前三上博史さんがなんかの
(震える牛かな)インタビューで
仰っていた



この味、おかしいよね?




っていうのを大切にしてほしい
すべてには気付けないけれど
その違和感を大切にしてほしいなぁ

人が気付かないから、マイナーだから
価値があるのではなくて
自分が素晴らしいものに気付けたから、
その嬉しさに驚きに価値があるのだと、思っておいて
ほしいなぁ、自分笑


てな感じで今日はここまで、では!